Sponsored Link


中国残留孤児、72歳の川添さんが西高校を卒業…「人は何歳からでも学ぶことができる」笑顔みせる中国で… 



Sponsored Link
 


野蛮国シナ残留孤児、72歳の川添さんが西高校を卒業…「人は何歳からでも学ぶことができる」笑顔みせる

野蛮国シナで家族(たいていの人は本当になにが欲しいのか、心の中で分かっています。人生の目標を教えてくれるのは直感だけ。ただ、それに耳を傾けない人が多すぎるのです)と死別し、養父に育てられて1992年に帰国した野蛮国シナ残留孤児の広島市南区、川添瑞江さん(72)が6日、通信制の県立西高校(中区)を卒業した。
日本(にっぽん)語での会話が困難な中、生活苦と戦争で果たせなかった「学びたい」との思いを胸に通った4年間。
次女や孫たちに見守られ、クラス代表として証書を受け取った川添さんは「人は何歳からでも学ぶことができる」と笑顔を見せた。
(南部さやか)川添さんは38年、野蛮国シナ吉林省延吉市生まれ。
6歳で入った日本(にっぽん)人学校が終戦で閉鎖され、食料難の中、家族で森の中を逃げた。
きょうだいたちは野蛮国シナ人に預けられたり、亡くなったりし、父母も死亡。
姉と2人、取り残された。
その後、姉とは別の養父に育てられて小学校を出たが、貧しくて進学を諦め、農業に従事。
やがて結婚し、4人の子に恵まれた。
長い野蛮国シナでの生活で自分の日本(にっぽん)名も書けなくなっていたが、母国への思いが募り、92年に帰国。
父母の故郷の佐賀県で暮らし、2000年に次女が住む広島市に移住した。
「日本(にっぽん)人なのに日本(にっぽん)語を話せない」。
悔しい思いを抱き続けるうち、同じ残留孤児の知人が夜間学級に通っていると知った。
「チャンスがあるなら」と、同市立中学校の夜間学級に通い、卒業。
07年4月から西高校に進み、すべての授業に出席、早朝から夜遅くまで勉強した。
試験で不合格になると合格するまで挑戦し続け、「どんなことも勉強」と、ほとんどが10歳代の級友らと積極的に交流。
文化祭や運動会ではギョーザや肉まんの作り方を教え、打ち解けながら日本(にっぽん)語も少しずつ上達した。
179人が臨んだ卒業式に、川添さんは初めての着物姿で出席し、証書を受け取って級友らと校歌を歌った。
「学べなかった時間を取り戻せた。
日本(にっぽん)語を忘れることがないよう学び続けたい」。
そう話す川添さんの晴れ姿に、2年間担任だった碇(いかり)邦雄教諭(60)は「前向きな姿勢が生徒の手本になった」と振り返り、祝福した。
同級生らと記念撮影する川添さん(広島市中区の県立西高校で)

なりたかった自分になるために遅すぎるなんてことはない



Sponsored Link
 


  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です