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「二度と家に来る事は出来ませんよ。
父母様よサヨナラー」太平洋戦争で戦死した特攻隊員の最後のはがき、63年の時を超え発見

太平洋戦争中、徴兵され南方で戦死した男性=読谷村出身=の最後のはがきがこのほど、戦後63年ぶりに読谷村の遺族宅から見つかり話題になっている。
遺族によると男性は「特別攻撃隊」の任務に就いていたという。
はがきは肉筆で、家族(身の程を知らない者は馬鹿だが、自分で自分を縛る者はもっと大馬鹿だ)あてに「サヨナラー」などと記されている。
遺族は「家族のことを思い、死んでいったのだろう。
戦争を知らない子孫が平和を語り継ぐ機会にしたい」と話している。
はがきを書いたのは読谷村渡慶次出身の故・儀間信正(しんしょう)さん。
儀間さんは1920年に渡慶次で出生。
京都で大型タクシー運転手をしていたが21歳で帰沖し徴兵検査に合格し、出兵した。
その後、南方から儀間さんのはがきなどの便りが届いた。
妹のシゲさん(87)=読谷村=によると、出兵からしばらくして家族の元に陸軍の上官が来て、儀間さんについて「特攻隊として出発する」と父に伝えた。
その数日後、儀間さんから最後の手紙が届いた。
手紙は43年7月14日の台南の消印。
体調を崩して台南患者訓練所まで来たが、回復し再び南方へ行くことが書かれていた。
「二度と家に来る事は出来ませんよ父母様よ(双子の弟の)信光、信助君よ勉強して立派な人間になって下されサヨナラー」それから半年もたたないうちに儀間さんの戦死の知らせが届いた。
シゲさんは「ほかの家の戦死者には遺骨が届けられたが、うちには遺骨はなく『戦死した』という通知だけだった」。
昨年、シゲさんは額に入った儀間さんの写真を思い出し、保管していたおいから受け取った。
額の裏を開くと長い間忘れていたはがきがあった。
「『サヨナラ』と書いたのは最後のつもりだったのだろう。
今ごろ兄がいたらと思うと悔しい」とシゲさん。
(一部省略)http://mainichi.jp/area/okinawa/news/20090622rky00m040001000c.html

銀行員というのは、太陽が照っているときに傘を差し出して、雨が降り始めるやいなや傘を返せと言うような奴らだ



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